2013年9月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスで行われた第125回IOC総会で、2020年夏季オリンピックの開催地が東京に決まりました。

東京では56年ぶり2度目、日本では冬季も含めると4度目の開催が決まりました。
開催地発表の瞬間
以下の動画の20:09から、ロゲ会長が開催地を発表します。
The International Olympic Committee has the honor of announcing that the XXXIInd Olympiad in 2020 are awarded to the city of … TOKYO!
「2度目の夏季五輪」への長い道のり
招致失敗の連続と幻の「広島・長崎」構想
長野オリンピックを成功させ、21世紀を迎えた日本では、「2度目の夏季五輪招致」の機運が高まりました。しかし、実現までには多くの紆余曲折がありました。
- 大阪が2008年大会の招致に立候補したが、北京に敗れる
- 東京が2016年大会の招致に立候補したが、リオデジャネイロに敗れる
また、かつて名古屋が1988年大会の招致に立候補したものの、ソウルに敗れた歴史もありました。
日本での夏季オリンピック開催は遠のいたかに思われました。
そんな中、2009年に広島市の秋葉市長と長崎市の田上市長が、被爆地から核廃絶と平和を訴える「広島・長崎オリンピック構想」を表明します。しかし、当時のオリンピック憲章では、1都市による開催と定められていたため、IOCはこの共催案を却下。共催案は幻となりました。
その後、広島市が単独開催を模索しますが、最終的に断念することになります。

その後IOC憲章が改正されて広域開催が可能になり、2026年のミラノ・コルティナ大会につながります。東京大会でもマラソン(札幌)・ゴルフ(埼玉)など複数の競技が東京都以外で行われ、実態は広域開催となりました。
東日本大震災、そして東京の再立候補宣言
2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。
未曾有の被害と悲しみに包まれる中、「スポーツの力で日本を元気づける」「世界からの支援に感謝を示す」と、再び東京が立ち上がります。
2011年7月、東京は「復興五輪」を掲げ、IOCに正式に立候補を表明します。名古屋の敗北から数え、実に30年越しの雪辱に挑むことになりました。
安倍首相の”under control”
招致レースで最大の懸念材料として浮上したのが、福島第一原発事故でした。
ブエノスアイレスで行われた最終プレゼンテーションで、安倍首相はこの問題を正面から取り上げ、次のように力強く断言しました。
“Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control.”
「福島について懸念を持たれている方がいらっしゃるかもしれません。しかし、状況は管理できていることを保証します。」
この発言はその後国内で議論を呼びましたが、日本の内閣総理大臣の国際公約として、IOC委員の不安を払拭し、東京への投票を促すことになりました。
流行語になった「お・も・て・な・し」
さらに、東京の勝因は、「Safe Pair of Hands(確実な運営能力)」というスローガンを掲げ、大きな経済力を背景に確実に開催できること、そして治安の良さをアピールしたことにもありました。
最終プレゼンテーションでは、滝川クリステルさんによる「お・も・て・な・し」のフレーズで日本ならではのホスピタリティを印象づけ、日本でも流行語になりました。
決定の瞬間、会場にいた元フェンシングの太田雄貴さんらが涙を流しながらガッツポーズで喜ぶ姿は、多くの日本人の記憶に刻まれています。
招致のその後ー剥がれ落ちた熱狂
2013年の歓喜から月日が経つにつれ、東京には次々と重い現実が突きつけられることになります。
青天井の経費
まず、建設費用が高騰しました。
新国立競技場のデザイン案が撤回されるなど、当初「コンパクト五輪」と謳われた大会経費は想定をはるかに上回り、巨額の負担への疑念が広がりました。
パンデミックと強行開催
大会直前に突然始まった新型コロナ・パンデミックが大会を直撃します。
開催は1年延期となりましたが、1年後もパンデミックは集結しないままの強行開催となります。
バッハIOC会長の「誰もが少しずつ犠牲」という発言や、特例による大会関係者の大量入国は、厳しい自粛を強いられていた国民の強い不安と反発を招きました。
とどめを刺した汚職
閉幕後、大会に関係する大規模な汚職・談合が次々と発覚します。組織委員会の理事や広告代理店、スポンサー企業を巻き込んだ利権スキャンダル。
検察は容疑者を逮捕し、世論は完全に冷めます。
宴の後、五輪忌避が残った
東京大会の負の連鎖は、2030年冬季五輪の招致を目指していた札幌市を直撃します。
地に墜ちた五輪への信頼は回復せず、市民の支持率は低迷を続けました。その結果、2023年10月に札幌市とJOCは、正式に招致を断念しました。
ブエノスアイレスの歓喜から10年で、日本の熱狂は不信に変わり、五輪への忌避感さえ広がってしまったのです。
投票結果
最終プレゼンテーションが効いたためか、終始東京がリードする展開に。
1回目で過半数を取れず決選投票にこそなりましたが、投票後の記者会見でロゲ会長が「東京の圧勝でしたね」とコメントしたように、決選投票ではイスタンブールを大きく引き離しました。
| 都市名 | 1回目 | 1回目 (2位決定投票) | 決選投票 |
| 東京 (日本) | 42 | – | 60 |
| イスタンブール (トルコ) | 26 | 49 | 36 |
| マドリード (スペイン) | 26 | 45 | – |
