【2026年 ミラノ・コルティナ】冬季オリンピック開催地決定の瞬間

歴代開催地アーカイブ

2019年6月24日、スイス・ローザンヌで開催された第134次IOC総会で、2026年冬季オリンピックの開催地がイタリアのミラノとコルティナ・ダンペッツォの共催に決まりました。

コルティナ・ダンペッツォでは70年ぶり2度目の開催、複数都市開催を前提とする招致は五輪史上初となりました。

コルティナ・ダンペッツォはコルティナという略称で呼ばれることが多いです。

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開催地発表の瞬間

トーマス・バッハ会長が開催地が書かれた封筒を開け、「ミラノ・コルティナ!」と高らかに発表しました。(動画は2:59から)

Ladies and gentlemen, the members of the International Olympic Committee have elected the host city of the Olympic winter games in 2026.
The host is … MILANO-CORTINA!

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開催権をもぎ取ったミラノ・コルティナの情熱

ローマの挫折からミラノへ

ミラノ・コルティナへの招致は、単なる招致活動ではなく、度重なる「ローマの挫折」を乗り越える悲願でした。

かつて、2020年・2024年夏季大会と、ローマが続けて立候補しましたが、財政難や政治の混乱により撤退を余儀なくされていました。当時のイタリアには、「オリンピックは負債を残す」という意見も多かったところでしたが、その空気を一変させたのがミラノとコルティナ・ダンペッツォでした。

イタリア政府は、ローマの挫折を教訓に、既存施設の活用と持続可能性を前面に押し出しました。そして何より、IOC委員を動かしたのはイタリア国民の熱狂でした。

招致を決めた圧倒的な支持

ミラノ・コルティナの最大の勝因は、国民の圧倒的な支持でした。

IOCの調査で、イタリア国内の支持率は83%に達し、有力な対抗都市ストックホルム・オーレの50%台を大きく引き離していました。この熱狂的ともいえる支持こそが、他の不安材料を払拭して余りある最大の武器となりました。

決定の瞬間、会場にいたサッカー界のレジェンド、パオロ・マルディーニ氏らイタリア招致団は、子供のように飛び跳ねて抱き合います。

やがて会場からも、ミラノのドゥオーモ広場に詰めかけた数千人の市民からも、「イタリア!イタリア!」の大合唱が沸き起こりました。

候補地枯渇という危機と「ニュー・ノーム」

2026年大会の選考は、オリンピックにおける大きな転換点になりました。

当初はカルガリー(カナダ)やシオン(スイス)、札幌など多くの都市が関心を示していましたが、開催経費の膨張や住民の反対などにより次々と撤退。最終選考に残ったのは、ミラノ・コルティナとストックホルム・オーレだけでした。

この深刻な危機に対し、IOCは「ニュー・ノーム(新しい規範)」を本格的に適用します。施設の新設を避けるため、広域開催を認めていくというニュー・ノームのもと、ミラノ・コルティナは、会場の9割以上に既存施設や仮設施設を利用するという現実的なプランを提示しました。

オリンピックのあり方が変わる過渡期の始まりの局面で、ミラノ・コルティナの提案は新たな五輪モデルとして高く評価されました。

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投票結果

最終投票では、ミラノ・コルティナが13票差でストックホルム・オーレを破りました。

棄権の1票はバッハ会長と推測されています(会長は棄権する慣例です)

都市名得票数
ミラノ・コルティナ (イタリア)47
ストックホルム・オーレ (スウェーデン)34
棄権1
参考情報源(References)
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