【2002年 ソルトレイクシティー】冬季オリンピック開催地決定の瞬間

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1995年6月16日、ハンガリー・ブダペストで開催された第104次IOC総会で、2002年冬季オリンピックの開催地がアメリカのソルトレイクシティーの共催に決まりました。

ソルトレイクシティーでは、2034年冬季大会が開かれる予定です。

開催地発表の瞬間

IOC総会で各候補都市の最終プレゼンテーションを経てIOC委員による投票が終わり、緊張が最高潮に達した午後。

フアン・アントニオ・サマランチ会長が壇上に上がり、開催地が書かれた封筒を開け、「ソルトレイクシティー」と高らかに発表しました。

“The International Olympic Committee has decided to award the obligation of the XVIIIIth Olympic winter games in 2002 to the city of Salt Lake City!”

IOCに汚点を残した招致合戦

始まりは屈辱の敗北 ― 長野五輪決定の「悪夢」

1995年6月16日、ハンガリーのブダペストで開催された第104次IOC総会。アメリカのソルトレイクシティーの招致団は、4年前の「あの屈辱」を晴らすためにこの場所に立っていました。

1998年冬季大会を決めた1991年のバーミンガム総会。ソルトレイクシティーは完璧な準備を整え、大本命の呼び声が高かったにも関わらず、4票差で日本の長野に敗れました

この「バーミンガムの悪夢」は、招致委員会に強烈なトラウマを植え付け、「手段を選んではいけない」という狂気にも似た教訓をもたらしました。ソルトレイクシティーは戦略を根本から見直し、IOC委員一人ひとりへの文字通り「徹底的な」アプローチを開始しました。

これが、スイスのシオンやスウェーデンのエステルスンドなど、他の候補都市を寄せ付けない、圧倒的なロビー活動の原点でした。

圧勝の裏に潜む「影」

ソルトレイクシティーは、1回目の投票で全投票数の60%を超える54票を獲得し、歴史的な圧勝を飾ります。しかしその歓喜は、数年後にオリンピック史上最大の汚点となる「招致スキャンダル」によって暗転します。

1998年、IOC委員の家族に対する奨学金の提供や高額な贈り物、現金供与といった贈収賄の事実が明るみに出ます。この事件によって一部のIOC委員が除名され、IOCは危機を迎えます。

IOCは、委員の現地視察禁止や定年制の導入といった抜本的な組織改革を余儀なくされます。こうしてIOCは自浄作用を示し、かろうじて危機を乗り越えました。

試練の9.11を越えて

ソルトレイクシティーの試練は続きます。

さらに開催半年前の2001年9月11日、世界史に残る同時多発テロが発生しました。大会は中止の危機に立たされましたが、ソルトレークシティーは鉄壁の警備体制を構築し、「光は闇に打ち勝つ」というメッセージを世界に発信しました。

疑惑と恐怖を乗り越え、2002年大会は、アメリカの威信をかけ、不屈の精神を象徴する場となりました。

最終投票の結果

ソルトレークシティーが他の追随を許さず、1回目の投票で過半数を獲得。2位以下に4倍近くの大差をつける圧勝となりました。

都市名1回目得票数結果
ソルトレイクシティー (米国)54開催決定
シオン (スイス)14
エステルスンド (スウェーデン)14
ケベック・シティー (カナダ)7
参考情報源
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